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あの人に迫る

横山だいすけ NHKで9年間「歌のお兄さん」

写真・平野皓士朗

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◆勇気や希望の歌 気持ちで伝える

 育児に奮闘する全国の母親たちが、降板を惜しんだタレントがいる。六十年近い歴史があるNHKの幼児教育番組「おかあさんといっしょ」で、三月まで「歌のお兄さん」を務めた横山だいすけさん(34)。歴代最長の九年間、子育て世代に寄り添った歌声の陰には、人知れぬ葛藤と家族の支えがあった。

 −三人きょうだいの一番上。どんなお兄さんでしたか。

 三歳下の妹と五歳下の弟がいます。妹とは年が近いこともあっていつも一緒。弟はどこに行くのにも付いてきたがる子で、自分が面倒を見た印象が強いからか、大人になった今でも「大丈夫かな」と心配になる時がありますね。弟は結婚して子どももいるんですが。

 −「歌のお兄さん」を目指そうと思ったきっかけは。

 子どもが好きで将来は幼稚園や保育園で働くことを考えていました。高校二年の時、幼児教育に関する資料に「音楽は人の心を豊かにする」とあるのを見つけたんです。「小学校に上がるくらいまでの子どもは脳が柔軟で、何でも吸収できて人格形成の基礎になる時期。だからたくさんの音楽を聞かせてあげたい」と。その日家に帰ると、たまたまテレビで「おかあさんといっしょ」をやっていて。お兄さんとお姉さんが子どもたちと歌っている姿に「これだ」と思いました。

 −その後は夢を語ることをはばからなかった。

 大学の進路希望調査にも「歌のお兄さん」と書いて提出していました。一度、進路課の先生に呼び出されて、「ちゃんと考えなさい」と言われたこともありましたが、僕が「本気で目指したい」と言っているうちに大学の友達や先輩は応援してくれるようになって。つてがあるわけでもなく、両親も心配していたはずですが「自分が好きだと思えることは一生懸命頑張りなさい」と背中を押してくれたので、胸を張っていられたんだと思います。

 在学中はNHKによく電話をかけて、お兄さんの募集がないか問い合わせていたんですが、その時は縁がありませんでした。

 −大学卒業後は劇団四季に進みました。

 大学三年の時に市民ミュージカルに出演する機会があって、その指導をしていた元劇団四季の方がオーディションを受けるよう勧めてくださったんです。その時の歌のお兄さんだった今井ゆうぞうさんが四季の出身だったことも理由の一つでした。でも、そんなに甘い世界じゃない。ダンスが未経験で入るのは僕くらいで、周りは踊りもプロの集団。同期や先輩に稽古の時間以外も練習に付き合ってもらいながら、何とか舞台に上がったという感じです。入ってすぐに全国ツアーがあり、体重は十キロ落ちました。それでも二年目には目標だった「ライオンキング」で役をもらえるまでになったんです。

 −そんな時、歌のお兄さんのオーディションがあることを知った。

 大学の後輩からの電話で、「もう一次審査が終わったらしい」と聞いたんです。僕はその時二十四歳。一度新しい人がなると四〜六年は変わらないから、次はないかもしれない。四季でも良い経験をさせてもらっているし、これも運命かもしれない。そんなことを思いながらその日の夜、家でオーディションのことを母に話したんです。すると母は「あなたにとって歌の原点は何か、もう一度よく考えて、これからどう生きていきたいのかを考えてみたら」と。次の日の朝、もう一度NHKに電話しました。そうしたらちょうど、追加の一次審査を行うことを決めた会議が終わったところで、履歴書を持ってくるように言われたんです。

 実技審査では、踊りながら歌うこともあったんですが、これは四季に入る前の僕には絶対できなかったことだと思います。

 −夢に見た仕事で、現実とのギャップを感じることはありませんでしたか。

 スタジオには子どもたちの笑顔があって、思い描いたままの現場だったけど、自分の歌については最初の二年間くらいずっと悩んでいました。

 それまで僕が学んできたのは、例えば千五百人のホールを声でいっぱいにするための発声。それに対し、番組では隣にいる子にどうやって歌を届けるかがテーマなんです。

 ずっと合唱をやってきたので自分の個性を消しながら、何十人で一つのメロディーを作るための歌い方はできても、ソロは僕にしか歌えない歌い方を自分から発信していかなければならない。それがうまくできなくて、番組の歌の指導の先生には「あなたの歌はつまらない」とよく言われました。自分の歌う部分が削られたりするたび、せっかく歌のお兄さんになれたのに、こんな自分で本当によかったんだろうかと。

 −東日本大震災が転機になったそうですね。

 震災が起きた年の八月に番組で東北の被災地を訪問したんです。特に被害が大きかった宮城県南三陸町のコンサートで歌った「ぼよよん行進曲」は、僕の歌に対する姿勢を大きく変えました。

 −困難に立ち向かう歌です。

 サビの「ぼよよよ〜ん」というところで、会場の親御さんが子どもたちを抱き上げると、子どもたちは無邪気に笑っていて、親御さんの中には涙を流している方もいました。その時の会場の一体感に、あらためて音楽の力を感じたんです。それからです、もっと命懸けでやらなきゃって思うようになったのは。

 −歌で大切にしてきたことは何ですか。

 ずっと子どもたちに勇気と希望を与えたいと思って歌ってきました。でも「勇気」や「希望」って抽象的で目には見えないから、初めて聞く子どもに言葉で説明してもなかなか伝わらない。でも歌なら、気持ちを伝えることができる。

 勇気ってこういうものなんだ、希望ってこういう力なんだよって、気持ちを込めて歌うことで、感じ取ってもらえる。それがいつか子どもたちの中で花開く瞬間があると思うんです。

 二十年後か三十年後、今の子が大人になって同じ歌を聴いたときに、僕らのことは忘れていても、歌を懐かしいと思ってもらえたら。僕が子どもの時に番組で聞いた「ホ!ホ!ホ!」や「ぼくのミックスジュース」を覚えていたように。

 −理想の家庭や子育ては。

 将来結婚して子どもが生まれたら、子どもが興味を持つことを一緒に体験して、笑い合える父親になりたいですね。

 僕は子育てに正解はないと思うんです。互いにいろんな価値観を持った夫婦が一人の子を育てるというのは、逆に自分たちが育てられる部分も多いんじゃないでしょうか。

 −ドラマやバラエティーなど今後挑戦してみたいことはありますか。

 番組を卒業したことで今、いろんなことをやらせてもらえるチャンスなので、何かに縛られることなく、いろんな挑戦がしたいですね。この九年間で歌のお兄さんとしての横山だいすけは一つの形になったので、これからも子どもたちのために歌う活動は続けていきながら、また新たな一面を見いだしてもらえるようにしたいです。

◆あなたに伝えたい

 両親も心配していたはずですが「自分が好きだと思えることは一生懸命頑張りなさい」と背中を押してくれたので、胸を張っていられたんだと思います。

 <よこやま・だいすけ> 1983年、千葉市生まれ。音楽好きな母の影響でウィーン少年合唱団に憧れ、小学3年生で地元の合唱団に入団。2006年に国立音楽大声楽学科を卒業後、劇団四季を経て、08年から今年3月までNHKの教育番組「おかあさんといっしょ」に出演し、高校時代から念願だった「11代目歌のお兄さん」を担当。得意の変顔と奇抜な衣装で、てんぐやかっぱなどくせのあるキャラクターも演じ人気を博した。番組卒業記念のCDとDVDが今月7日に発売される。1日初演のミュージカル「魔女の宅急便」では初の父親役に挑戦。7〜8月に関西8都市を回るコンサートツアー「だいすけお兄さんの世界名作劇場」が控える。

◆インタビューを終えて

 「実は今日、母の誕生日なんです」。取材の途中、横山さんが発した一言に親子の絆の深さを垣間見た。

 あきらめかけた夢の扉を再びたたく勇気を与えたのは母の言葉だった。NHKのオーディションを受けることは、劇団四季に退団届を出すことを意味した。「母の言葉があったから、落ちて何も無くなってしまう不安から、自信を持って踏み出せた」。その後の活躍に、どれほどの親子が励まされただろう。

 記者にも一歳八カ月の息子がいる。自分は将来、成長したわが子が語る夢をどこまで応援してあげられるだろうか。じっと胸に問い掛けた。

 (帯田祥尚)

 

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