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あの人に迫る

ダニー・ネフセタイ 元イスラエル兵

◆国のために死ぬ 素晴らしくない

写真・朝倉豊

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 市街地への空爆、ロケット弾での応戦、兵士に射殺される女子高生、民間人を狙った銃の乱射や自爆テロ…。イスラエルとパレスチナ間の紛争は止まる気配がない。「なぜ終わりが見えないのか」。日本に三十七年住む、イスラエルの元兵士で家具作家のダニー・ネフセタイさん(60)は、その思いを「国のために死ぬのはすばらしい?」(高文研)にまとめ、昨年十二月に刊行した。書籍は口コミで広がり、反響を呼んでいる。

 −なぜこの本を出そうと?

 子どもの時から「嫌っているのは自分たちでなく、パレスチナ人だ」「戦争を望むアラブ人と違い、私達ユダヤ人は、平和を愛する優れた民族だ」と信じ込んでいました。学校、家庭、地域や新聞、テレビで知る情報が積み重なり「悪者のアラブ人とは和平交渉は不可能だ」との“信念”ができ上がりました。「中国や韓国とは話ができず、信用できない」と言う多くの日本人にも通じるのでは、と感じ、イスラエルの歴史を伝え、今の日本を考える材料を提供したいと思ったのです。

 −イスラエルでは、どんな教育を。

 就学前に教え込まれたのは「捕虜になってはいけない」「国のために死ぬのは素晴らしい」でした。西暦七〇年にローマ帝国がユダヤ教の神殿を破壊し、ユダヤ人をイスラエルから追い出しました。追放を逃れた九百人のユダヤ人が、要塞(ようさい)に逃げローマ軍に三年間抵抗しましたが七三年、集団自決します。就学前、この史実をもとに「戦争は勝つか死ぬか、たとえ自殺しても敵に降伏しない」とたたき込まれました。イスラエルでは六歳の子どもでさえ、当然だと考えています。

 二十世紀初め、欧州から移住した数十人のユダヤ人が、イスラエル北部テルハイに入植地を築きましたが、アラブ人の多い地域だったため、頻繁にアラブ人と衝突しました。

 一九二〇年の最後の戦いでリーダーのヨセフ・トルンペルドールら数人が戦死し「国のために死ぬのは素晴らしい」とのこしたとされ、その言葉を小学生の時から刷り込まれました。毎年三月「テルハイの日」の教室の横断幕には「国のために死ぬのは素晴らしい」と書かれていた。戦死は最も栄誉ある死だと、国民の共通認識になっています。

 −六七年の第三次中東戦争が始まった時は、小学四年生でした。

 その戦争で、イスラエルはゴラン高原、ヨルダン川西岸、ガザ地区などを占領し、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)のような過酷な占領政策をとり続けます。学校の先生は興奮して「聖書で約束された土地に戻れた」と軍を褒めたたえ、占領地に新しく建てたモシャブ(村落)やキブツ(生活共同体)を誇らしげに話題にしました。

 −十八歳で軍に入隊しました。

 ユダヤ人は十八歳で入隊し、男性は三年、女性は二年の兵役に就きます。退役後も男性は、年に一カ月の予備役が四十五歳まで続く。武力に頼らずには生きていけないという考えが自然と身に付いているのです。

 入隊時は戦闘機パイロットになるのが夢でしたが、終盤の試験を突破できず、特殊レーダー部隊に。パイロットになっていたら国を守るため、パレスチナの子どもが犠牲になるのも仕方がないと思う人間になっていたかもしれません。

 イスラエルの情報機関「モサド」は、敵の空軍からスパイとなるパイロットを探し、戦闘機ごとイスラエルに亡命させる“神業”を成功させています。そのモサドが、話のできるアラブ諸国のリーダーを探せないはずがない。探すように、との命令を受けていないだけのことなのです。

 −兵役後、自由な時間を求めて世界を旅した。

 バックパッカーでまず向かった先が日本でした。日本語学校に通い、バイト先の下の店で働く妻のかほる(58)と出会いました。かほるの大学卒業後、イスラエルに二人で渡りましたが政権が右傾化し、八四年に日本に戻ります。結婚し、家具作家として埼玉県皆野町に住みました。

 −二〇〇八年十二月に、イスラエルのガザ侵攻が起きました。

 三週間の攻撃で、四百五十人の子どもを含む千四百人のパレスチナ人が死亡しました。日本に居ても立ってもいられず「平和への願い」と題して講演を行い、イスラエルの人々にヘブライ語で呼び掛けるブログを始めましたが、寄せられたコメントは「批判したければ戻ってこい」「あなたは正しいけれど、外国から言われるのはたまらない」などの声でした。

 そして、六年後の一四年のガザ侵攻では、イスラエル軍は五百七十七人の子どもを含む二千二百八人のパレスチナ人を死に追いやったのです。

 イスラエルが進める、一方的な入植に反対です。パレスチナ国家の設立、中東和平を一日も早く進めなければならない。

 −福島の原発事故からは何を感じましたか。

 3・11があり、戦争が日常だった国に生まれた私は日本に巣くう軍需産業と原発産業を強く意識するようになりました。二つの産業の共通点は、少しの人の利益のために大勢の人が犠牲になることです。

 防衛費に国家予算の二割を割き「国民の命を守る」というイスラエル政府も、戦争になると、国民を100%守れるとは、とても言えません。

 平和のための努力をせず、軍事費に予算を回すイスラエルと、かたや自然エネルギーに移行せず、原発再稼働を進める日本。どちらも、犠牲が出た際の合言葉は「次は絶対安全だ」でしょう。疑う心を持たないと国はやりたい放題。原発再稼働になれば、次の事故も時間の問題でしょう。3・11を経験したのに、原発輸出を進める。暴挙としか思えない。

 −一四年からイスラエルの軍事企業が日本の防衛企業と商談を進めています。

 無人戦闘機開発で、両国が急接近していることをニュースで知りました。イスラエルの無人戦闘機技術に日本の高度なセンサー技術などを組み合わせるというものでした。あまりにもばかげた試みです。両国が共同開発した無人機が将来、“敵”と見なす国の空を飛び、ボタン一つで子どもたちをも巻き込み、殺す。そんな状況を日本人は許せるのでしょうか。

 中東を軍産複合体のいけにえにしてはいけないのです。日本にこそパレスチナの悲惨な現状を知ってほしい。イスラエルとパレスチナの歴史を知れば、戦争や軍拡が何をも解決しないことが分かるでしょう。

 −日本はどうしていくべきだと。

 テレビや新聞は、ナショナリズムが激しくぶつかる尖閣諸島や竹島の領土問題を頻繁に扱い、その結果、中国や韓国へのイメージは悪くなるばかりです。いまの日本は、アラブ人に囲まれたイスラエルの状況に近いのかもしれません。やるべきことは“敵”に見える国を知るために、たゆまぬ努力を重ね、軍事によらない解決策を探り続けることではないでしょうか。

 軍拡や原発輸出に頼ろうとする今の日本の政治や経済のあり方を根本から見直す必要があるのでは。未来を生きる子どもたちに、戦争や軍拡に頼る「平和」を託してはいけません。どちらも平和とは全く相いれないものであることを、一人でも多くの人に気付いてほしいのです。

◆あなたに伝えたい

 日本に巣くう軍需産業と原発産業を強く意識するようになりました。二つの産業の共通点は、少しの人の利益のために大勢の人が犠牲になることです。

 <ダニー・ネフセタイ> 1957年、イスラエル中部のモシャブで4人きょうだいの次男として生まれる。12歳の時に農業を営む父が自殺、二つ上の長男とともに、ナッツ畑などで働き家計を支える。高校卒業後、徴兵制でイスラエル軍に3年間入隊。退役後にバックパッカーで日本へ。妻かほるさんと出会い、85年に日本で結婚、1男2女をもうける。埼玉県皆野町に工房を開き、夫婦で注文家具などを製作、自宅ログハウスも建設。原発事故後は「原発とめよう秩父人」を設立、福島視察ツアーやデモ参加、反原発イベントの企画運営も行う。毎年3月11日には「原発事故を忘れない」をテーマにポスター2万部を配布。家具の個展や平和をテーマにした講演を全国で行っている。

◆インタビューを終えて

 二月、ダニーさんの還暦を祝おうと三年ぶりに妹シーリーさん(56)=写真(左)=とイーリスさん(47)=同(右)=が来日、一緒に食事した。イスラエルの歴史話で盛り上がったが、ガザ近郊に住むイーリスさんの近況に話が及ぶと空気が一変。ロケット弾が飛び交い、シェルターに身を潜める妹を気遣うシーリーさんが「紛争は良くない。でも弾を放つのはパレスチナ人だ」、ダニーさんは「そんなこと言ってたら平和は訪れない」。その場面に言葉を失った私にダニーさんは「前回、妹は全く耳を貸さなかったが今回は聞く耳がある。考えが変わるのは時間の問題ですよ」。一筋の希望を見た気がした。

 (望月衣塑子)

 

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