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あの人に迫る

青原さとし 記録映画作家

写真・池田まみ

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◆絆を培う「土徳」 復興の原動力に

 東日本大震災で津波と原発事故で二重に被災した福島県相双(そうそう)地方(浜通りの二市十町村)。この地域は江戸時代、天明の大飢饉(ききん)を機に、北陸などから浄土真宗の移民を受け入れ、復興を遂げた歴史がある。震災から十一日で六年。地域の人たちの思いを受けて製作されたドキュメンタリー映画「土徳流離(どとくりゅうり)〜奥州相馬復興への悲願〜」(二〇一五年)の青原さとし監督(55)に、被災地が復興するとはどういうことなのか聞いた。

 −「土徳」とは耳慣れない言葉です。

 もともと浄土真宗の多い地域で使われていた言葉です。私は〇三年に、広島市の原爆投下前と後を描いた「土徳〜焼跡地(やけあとち)に生かされて〜」というドキュメンタリー映画を製作しました。生家は広島の「真光寺」という真宗の寺で、爆心地から約五百メートルの至近距離にありました。原爆が投下されたとき、父は学生で京都にいたため助かるのですが、寺は壊滅し、家族五人が犠牲になりました。父は当時十七歳。焼け野原の中、檀家(だんか)総代や門徒に守られ、支えられながら寺を再建していきました。

 亡くなる直前、病床の父に自身や町の生い立ちをインタビューしたのですが、そこで初めて「土徳」という言葉を聞いたのです。いいことも悪いことも含め、人は地域で地縁とか血縁といったつながりの中で育てられる。つまり地域共同体です。土徳は浄土真宗の枠を超え、どこにでも通用する言葉だと思いました。

 −フクシマを描いた「土徳流離〜」は、どんな経緯で製作されたのですか。

 震災の年の一一年九月、富山県南砺(なんと)市で開かれたローカルサミットに、姉妹都市の福島県南相馬市から元市長の渡辺一成さんが来られました。南砺市の大福寺住職の太田浩史さんの講演で、前作「土徳」が紹介され、この言葉にひかれた渡辺さんから上映会の問い合わせをいただいたんです。ヒロシマの復興も描かれているこの映画は、津波と原発事故で打ちのめされた相双地方の人々に励ましを与えてくれるに違いないと。すぐに上映実行委員会ができ、一二年九月末に相馬、南相馬両市で三日間九会場で上映され、計五百人の方に見ていただきました。

 上映会に際し、太田住職の本で相双地方は真宗移民の歴史があったことを知りました。地域のお寺にあいさつに行くと、北陸から移ってきた先祖の話を皆が熱心にしてくれるんです。「何とか映画にしたいですね」と口にすると、地元の方たちが「ぜひやろう」と。上映実行委員会が製作実行委員会に代わるのに、時間はかかりませんでした。

 −真宗移民の歴史は、あまり知られていません。

 江戸末期、相馬藩は天明の大飢饉(一七八二〜八七年)による人口減で財政危機に陥り、復興対策として他領から移民を招致したんです。これに先立ち、越中(富山県)や越後(新潟県)の真宗僧侶が相馬藩領内に入り、以後、北陸一帯からの門徒の入植が相次いだのです。移民は明治時代初頭まで続き、その数三千戸とも三千五百戸とも言われています。浄土真宗地帯では間引き(堕胎・嬰児(えいじ)殺し)を禁じていたので、当時の北陸は人口過剰でもあったわけです。

 −相馬藩はどのように移民を受け入れたのですか。

 藩の当初の入百姓政策は、移民に住む家を与え、当面の食料を与え、土地を与え、種もみを与え、五年間は税を取らなかった。移住先の暮らしと耕作の環境を整えることで、土地に根付かせ、生産に励ませた。原発事故を巡る東京電力や国の対応とは違うように見えます。私は相馬藩を見習った方がいいと思っているんです。相馬藩は決して大きな藩ではない。六万石ですから。それでも七百年も同じ一族が相双地方の大半を守ってきたというのは、そこで暮らす民とつながりを持っていた、ちゃんとした共同体があったと思うのです。

 −移民の末裔(まつえい)も多く被災し、移住を余儀なくされました。

 農山漁村に住んでいる人たちを追いやり、住めなくするということがどういうことなのか。土に生きる人間にとって、農地は営々と継承してきたなりわいの地です。映画の中で農家の人が語っています。「作土は一年に一ミリしかできない」と。土をはぎ取ることがいかに苦痛なことか。除染で農地を十センチ除去するということは、良土を作るのに百年かかった時間の堆積をも奪うということなんです。山も漁場も同じですね。ハッとさせられます。土着の人もそうですし、ましてや真宗移民の末裔からすれば、先祖がわざわざ北陸からやってきて、ようやく開墾して地力を備えた土地が一網打尽にやられちゃった。

 −「相馬野馬追(のまおい)」のシーンは印象的です。

 地域には昔から続いてきた祭りがあり、一年を通じた行事があるわけです。そんじょそこらじゃつくれない。相馬野馬追は相双地方最大の祭りで、毎年七月に三日間にわたって行われます。例年、相双地方の五つの郷から総勢五百騎以上の騎馬武者が参加します。撮影した一三年七月は四百十騎に上りました。神社から出陣するとき、「国歌斉唱」の号令がかかりました。武者が一斉に起立し歌いだしたのですが、それは「君が代」ではなく、地元民謡の「相馬流山」でした。いまだに「クニの歌」として大事にしている。強烈な自治意識ですよね。

 −地元の人はこの映画をどう受け止めましたか。

 前編、後編合わせ三時間半もあるのに、あっという間だった、もっと見たかったと。多分、結婚式のビデオを家族の人が延々見続けるのと同じで、地域のアルバムのようなものです。「自分たちの地域を撮ってほしい」と言われたのも、3・11で追い込まれたんでしょうね。郷土の歴史がなくなるんじゃないかと。津波で神楽の獅子頭が流されるわ、神社や寺が使えないわ、いまだに立ち入りできず祭りができない、報恩講ができないと−。

 −最後に登場する相馬農業高校の生徒の姿に、一筋の希望を感じます。

 震災からまだ数年の一三、一四年の時期に、地元の農業高校にほぼ定員に近い状態で入学生がいたという事実に驚きました。放射能にも、津波にも負けない作物の研究や学習をしているわけです。また、授業の中で民俗芸能が必修科目になっていて、獅子舞とか神楽とか五つから選択する。地域の古老が教えに来るんですよ。体育館で生徒たちが踊る中、一人の女子生徒が歌った「相馬流山」を聞いたときは震えました。美しい声でした。ただ、被災の現実を前に答えなんて出せない、あまり楽観視できない状況だから、迷いつつの締め方でしたね。

 −復興事業は進んでいるようにも見えますが、青原さんが考える復興とは。

 あの地域を住みやすい場所にするのが土地の人に対する礼儀だし、東電や国は誠意を尽くしてやってほしい。でも実際に住むことができないなら、他の土地で震災前と同じようなことができる環境をつくってほしい。半分以上はサラリーマンだが、農業をやってきた人もいる。仮設住宅でなく、家々があって、農地があって、お墓があって、商店があって…ちゃんとした村をつくってほしいのです。

◆あなたに伝えたい

 いいことも悪いことも含め、人は地域で地縁とか血縁といったつながりの中で育てられる。

 <あおはら・さとし> 法名・慧水(えすい)という僧籍を持つ。1961年生まれ。広島市の「真光寺」(浄土真宗本願寺派)の次男に生まれる。龍谷大卒業後、87年に映像を志して上京。イメージフォーラム付属映像研究所第10期生。88〜2002年に民族文化映像研究所に在籍。所長の姫田忠義氏(民俗学者宮本常一の弟子)に師事し、日本列島に伝わる庶民の生活文化の映像記録作業に関わる。03年の「土徳〜焼跡地に生かされて〜」の後、広島を拠点にドキュメンタリー映画を製作。主な作品に「雪国木羽屋根物語」(04年)「三百七十五年目の春風」(09年)「タケヤネの里」(11年)など。上映の問い合わせはEメールao.esui@dream.comで。

◆インタビューを終えて

 知り合いの住職から「土徳」という言葉を初めて聞いたとき、意味はよく分からなかったが、いい言葉だと思えた。南相馬市在住の作家・柳美里(ゆう・みり)さんは青原さんとの対談で、「土徳流離」を「地層のような時間の堆積の上に在る今が描かれている」と評した。

 この映画を見ると、人は地域において、今を生きる人のつながりだけでなく、過去の人たちと、そして未来を生きる人とのつながりの中にあることに気づかされる。それらを断ち切った原発事故の罪の重さをあらためて思う。被災地は土徳を取り戻すことができるのだろうか。真の復興を願わずにはいられない。

 (有賀博幸)

 

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