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あの人に迫る

大野和士 指揮者

写真・由木直子

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◆人間だけの喜び タクト振り表現

 欧州を中心に数々の一流オーケストラ・歌劇場でタクトを振る世界的な指揮者の一人、大野和士さん(56)。高い評価を受けるオペラ指揮で多くの聴衆を魅了する一方、病院での演奏会、子どものためのワークショップを積極的に開くなど、活動の場はコンサートホールの枠内にとどまらない。彼の紡ぎ出す音楽の原点にあるものとは。

 −音楽を始めた時から指揮者志望だったのですか。

 三歳くらいのとき、父親がレコードを買ってきて、その中にあったブルーノ・ワルター(一八七六〜一九六二年)の指揮したベートーベンの「エロイカ」(交響曲三番)を聞いたのが音楽との出合いでした。

 最初にジャン、ジャンと強い音が二回鳴るんですが、今でも耳に残っています。その音が聞こえると、和菓子の袋を持って踊りだしたり、床を転げ回ったりしていました。やがて、それが指揮者という職業だと親から教わったらしく、幼稚園を卒園する時に将来の夢に「指揮者」と書いたんです。以来、音が聞こえると何かしら衝動に駆られるというのは、いまだに変わっていないですね。

 −最も強く影響を受けた指揮者は。

 ワルターは指揮者として最初に名前を覚えた人ですから、おぼろげながらにも敬意をずっと持ち続けていました。

 彼はオペラの指揮者としても有名な人で、小学生の時に読んだ著書「音楽と演奏」の中で、コンサートの指揮者とオペラの指揮者は本質的な部分では変わらない、唯一変わる部分があるとすれば、戯曲に対する感覚がないとオペラの指揮者にはなれない、ということが書いてあったんです。今でも自分の中で大きな意味を持っています。

 −大野さんにとっての「戯曲の感覚」とは。

 子どものころ、一人で声を出して読むのが好きだったんですよ。声を出して読むと、いろんな役になれるわけです。シェークスピアの「マクベス」を読んだりすると、自分がマクベスだったりマクベス夫人だったり、役柄に合わせて声色を変える。一人で読んで悦に入るという、変な子どもでしたけれど、今のオペラの演奏にもつながっているのではないかと思います。

 学生時代は指揮者の勉強のため、コレペティトゥール(オペラの下稽古ピアニスト)として劇場でたくさんピアノを弾きました。オペラを全曲弾くことで、長く、一つの戯曲化された音楽が自分の中に入ってくるという経験は、大きかったですね。そうしているうちに、「ちょっとおまえ、振ってみろ」と。そうすると今度は生まれて初めて、プロの人が歌う声がものすごい圧力でもって自分の耳に入ってくる。ハーモニーの圧力、響きを聞いて、その前に自分が立っていることに、非常に興奮したのを覚えています。「蝶々夫人」とか「椿姫(つばきひめ)」でした。

 −各国のオーケストラで指揮をされています。限られた準備期間の中で、どうやって理想の音楽を作り上げているのでしょう。

 自分の中に作品を落とし込めているかどうかが鍵になります。音楽家は、あたかも自分が作曲したかのように、作品を精神的にも肉体的にも落とし込まなくてはいけない。作曲家の場合は精神的な部分で収束することもありますが、演奏家は肉体的な動きと連動させて、表現していく。

 さらに指揮者の場合は、それを「音」ではなく「振り」で表現します。「振り」は指揮者のコミュニケートの手段として、もはや言葉の次元ではなくて「人間であれば分かる」という次元まで、落とし込んでいく作業が必要なんです。

 −音楽監督などを務めたザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団(クロアチア)では、ユーゴスラビア紛争を経験しました。

 紛争が激しくなっていた時期に、私が指揮をして、ロシア人のソリストがドボルザークのチェロ協奏曲を弾くという機会がありました。

 民族紛争の前提として、ナショナリズムという言葉が出てきます。けれど団員にはクロアチア人もセルビア人も米国人もいて、ソリストはロシア人、指揮者は日本人。まさにインターナショナリズムです。西洋音楽であれば「ドレミ」さえ知っていれば、どこの国の人たちでも結び合える。一緒に演奏したり、歌ったりできる。そして感覚、聴覚を通して、人間の喜びとして蓄積される。

 当時の状況でそれができたのは、違う顔、違う国籍の人たちが集まって一つのものを作り上げようとした力があったからではないかと思うんです。

 今の国際的な情勢を見ると、経済で言えば保護主義だとか、移民を排斥するだとか、非常に内向きな状況下にある。国境に壁を造ると言っている人がいるし、実際に壁のある国もたくさんある。でも閉ざされていくのは、そこにいる人たちなんです。そういうことをもっと認識するべきだろうと、自分自身の体験から強く思います。

 −二〇一五年には東京都交響楽団(都響)の音楽監督に就任しました。かつて日本のオーケストラは、「色がない」と評されたこともありました。

 私の場合、その指摘は私自身に対しての要求として考えているんです。前に立つ人が、それだけの色を持っていれば、オーケストラは反応する。だから「日本のオーケストラ」という言葉で一般論化してはいけないと思う。

 例えばマーラーのポルタメント(音を滑らかにつなぐ演奏技法)はウィーンという土壌を抜きには考えられない。マーラーの交響曲というと何となく大上段に構えてしまうので、ウィーン調の甘ったるいポルタメントは忌避されるべきだと考えられているかもしれない。しかし彼の作品に出てくるポルタメントはみんな少し甘い。そういうことも私の場合だと、日本語で具体的に提示できますよね。

 −来年には新国立劇場オペラ部門の芸術監督に就任します。若い世代にオペラの魅力をどう伝えますか。

 現在オペラの世界では、視覚的な方面では、子どもが見て驚喜するようなビジュアルアートの世界を作ることができるんです。見てて面白い、もちろん聞いてても面白いものを追い求めていきたいですね。

 それから学校などでのワークショップですね。例えば国語や英語の先生と協力して、シェークスピアの一節を英語で読んでみる。フランス語やイタリア語で訳された一節が、どう翻訳されているのかを面白く説明しながら、では今度、一幕一緒に鑑賞してみないかと引き込んでみるんです。そういうキャッチボールが大切だと思います。

 −今後、どんな作品に挑戦したいですか。

 都響では、古典から現代の作品まで、双方を組み合わせたプログラムを手がけたいです。古典の音楽を知るために現代の音楽を知るのは大切で、逆もそう。相対的に眺めることで、よりよく見えてくるのです。

 心情としては現代音楽のほうがやりすいですね。作曲家が私たちと同じ時代を生きて作曲しているわけだから、絶対分かり合える。例えば電話で「ここはどんなふう?」と聞くことだってできます。ベートーベンやブラームスには電話できませんから。

◆あなたに伝えたい

自分の中に作品を落とし込めているかどうかが鍵になります。音楽家は、あたかも自分が作曲したかのように、作品を精神的にも肉体的にも落とし込まなくては。

 <おおの・かずし> 1960年、東京都生まれ。東京芸術大卒業後、ドイツでウォルフガング・サバリッシュ氏らに師事。84年に東京都交響楽団(都響)を客演指揮し、プロデビューを飾る。87年にはイタリアのトスカニーニ国際指揮者コンクールで優勝。欧州でも注目を集める存在になる。

 クロアチアのザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団時代にはユーゴスラビア紛争を経験する。ベルギー王立歌劇場の音楽監督などをへて、2008年からフランス国立リヨン歌劇場首席指揮者。15年4月に都響の音楽監督に就任し、同年秋には欧州5カ国6都市での演奏ツアーを成功に導いた。スペイン・バルセロナ交響楽団の音楽監督も務める。ブリュッセル在住。

◆インタビューを終えて

 「素晴らしい演奏で泣いたことがある。確か、指揮者は日本人だった」。学生時代、留学先で知り合ったクロアチア人の友人から聞いた言葉だ。調べてみると、その日本人こそ、大野和士さんだった。

 当時のザグレブでは空襲警報のため練習を中断することも珍しくなく、「何度も棒を放りました」と振り返る大野さん。夜の灯火管制の中でもやって来る聴衆を見て、音楽の意味を問い続けたという。

 「人間にしか得られない喜びを感じられるのが人間。その喜びを提供するのが音楽家の役割なんです」。友人の涙の意味が、ようやく分かった気がした。(宮崎正嗣)

 

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