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あの人に迫る

林えいだい 記録作家

写真・五味洋治

写真

◆闇に葬られては無念やろと思う

 炭鉱で知られた福岡県・筑豊を拠点に活動する記録作家の林えいだいさん(83)が、昨年秋五十七冊目となる本を出版した。これまでも公害や炭鉱労働の実態、特攻隊員、朝鮮人強制労働など、歴史に巻き込まれ、犠牲となった人びとの証言や写真を丹念に集め、本にまとめてきた。林さんを歴史の記録に駆り立てる原点は、どこにあるのだろう。福岡の自宅を訪ねた。

 −五十七冊目のテーマは特攻でしたね。

 太平洋戦争の末期、福岡県の大刀洗(たちあらい)北飛行場で、出撃間近の重爆特攻機が炎上した。放火犯として逮捕された山本辰雄伍長は、創氏改名で日本名を名乗っていた朝鮮人でした。なんとか彼の無念を晴らしたいと当時を知る人に話を聞いて回りました。まだ不明な部分はありますが、冤罪(えんざい)だと確信しています。

 −燃えた特攻機は「さくら弾機」という機種です。

 約三トンの大型弾を搭載し、重すぎてしばしば事故を起こしていた。終戦末期に、日本軍はこんなむちゃなことをしたのです。

 −林さんのテーマは、公害、炭鉱、朝鮮人強制連行、さらに台湾にまで及ぶ。

 最初は公害です。大学を中退して故郷に帰り、北九州市役所の職員になった。外で遊ぶ子供たちの顔が煤煙(ばいえん)で真っ黒になるほどだった。それを写真に撮り「これが公害だ」というタイトルで出版したのです。

 −その時の韓国人との出会いが、林さんを記録作家にしたのですね。

 そうです。バラックが並ぶ貧しい地域で、話を聞いていたら「あんた、学問やっちょるじゃろ、俺たちのことを記録して、残してくれ」と頼まれた。思い切って役所を辞め、記録作家を目指しました。

 −家族の反応は。

 妻は「あんたはひどい人よ。何年連れ添うたと思うね。子供が二人いるのに、生活どうするの」と顔色を変えて怒った。私は、退職金の半分を手に、リュックに鍋と下着類を入れ、寝袋も持って、足尾銅山(栃木県)に向かいました。

 −なぜ足尾に。

 公害の原点は、明治時代の足尾鉱毒事件だと感じていたからです。大学四年生の時、鉱毒被害を記録した荒畑寒村の『谷中村滅亡史』を読んで感動しました。荒畑は、栃木県選出の代議士、田中正造に頼まれ書いたのです。村人たちは北海道に強制移住させられ、村は政府によって滅亡させられた。公害被害者たちは政府に請願するため、東京までの約八十数キロの道を歩きました。自分でも歩いてみた。最後はまめがつぶれ、指先の感覚がなくなった。この本に衝撃を受け、故郷、筑豊の炭鉱で働きながら自分の生き方をもう一度探そうと思って、四年生の時大学を中退したのです。

 −両親は驚いたでしょう。

 私は父を早く亡くし、母の手で育った。母は何も言いませんでした。むしろ後ろめたい気持ちでいた私に「気にするな。大学をやめるとは思い切ったことをする。じゃが、これからが苦しいぞ。それにへこたれんかったら、どんな生き方をしても構わん。ブレてはいかん」といって、イワシと酒を出してくれたのです。二人で飲みました。母も酒が強かった。

 −お父さんの死が、林さんの原動力ですね。

 父は古い神社の神主でした。戦前、筑豊地区にあった約二百五十の炭鉱には朝鮮半島から連行されてきた人が大勢いて、脱走した人たちが神社の床下に身を隠すことがあった。多いときには二十人以上。私の両親は彼らをかくまい、傷を治して送り出した。父はシベリア出兵に兵士として加わり、そこで朝鮮人に命を助けてもらったそうです。そのお礼だったのでしょう。

 −かくまったことが、警察に知られたと聞きました。

 脱走者は警察に通報することになっていたのですが、父は従わなかった。突然オートバイに乗った巡査が現れ、父を連行していきました。一週間後に帰ってきた父はすっかり衰弱し、両手の指先が腫れ上がっていました。拷問されたのです。一カ月後、一緒に寝ていた父に声をかけても反応がない。心臓まひで冷たくなっていた。私は「国賊」「非国民」の子でした。戦争や、異国の地で犠牲になった人たちにこだわる理由です。いろいろなことを明らかにしないまま死んだ人たちは無念やろと思うんです。そう考えるとじっとしてられない。性分なんでしょうね。日本は今、戦争国家に向かおうとしている気がする。気がついた時には体制にはめ込まれ、ものが言えなくなり、身動きができなくなる。とても怖い。

 −記録作家としての生活を教えてください。

 現地に住み込んで取材します。本が出ても、印税は取材費に使ってしまいますから、生活は楽ではなかった。ある時、税務署に収入を申告したら「林さん、これは年収ではなく、月収でしょう」と真顔で聞かれました。妻が教員をしていたからやれた面もあります。食事に困り、水を飲んでしのいだこともありました。

 −新聞社の契約記者になったこともあったとか。

 新聞社の依頼で、ある炭鉱の閉山に長期間密着しました。経済的には余裕ができましたが、友人から「おまえの文章は最近おかしい」と批判された。身銭を切らんとダメですね。甘えが出る。

 −愛用のカメラ(ライカ)を質に入れて、費用を工面したとか。

 質屋に行って、「おばちゃん、韓国に行く仕事があるんで、できるだけ高く貸して」と頼んだら、私のことをどこかで知ったのでしょう。「あんたはいい仕事しちょるけ、カメラは持って行け。商売道具やけ。元金と金利だけ返してくれればいい」と言われたこともあります。

 −長崎の軍艦島(世界遺産に登録された端島(はしま)炭鉱の別名)についても、いち早く調べています。

 長崎から船に乗っていた時、沖合に不思議なものが見えたことがきっかけでした。偶然です。船のような、島のようなものでした。調べてみると炭鉱があり、強制連行の問題もあった。これは行ってみなくちゃならん、と。

 −取材相手に話してもらえないこともありますか。

 もちろんです。たとえば、朝鮮人を使っていた炭鉱労務関係者はなかなか口を開いてはくれません。「あなたは自分の親やきょうだいのことを、みんなの前で簡単に話すのか」と怒られる。でも、何回断られても「話してくれや」と頼む。そのうち心変わりして話してくれる人もいます。ある人は、最初に申し込んでから八年後に電話をかけてきて、話してくれました。時間をかけて、話を聞きます。一人あたり二百時間、長いときには五百時間。テープに録音してポイントをカードに書いておきます。

 −今、取り組んでいるテーマはなんですか。

 瀬戸内海にある大久野島(広島県)です。戦争中、毒ガスが製造されていた島です。当時のことを知っている人にも話を聞き、写真もそろっています。毒ガスの作業場ではカナリアを飼っていた。空気が毒ガスで汚染されるとまずカナリアが先に死ぬからです。本のタイトルにも「カナリア」を使うつもりです。

◆あなたに伝えたい

 私は「国賊」「非国民」の子でした。戦争や、異国の地で犠牲になった人たちにこだわる理由です。

 <はやし・えいだい> 1933年生まれ。実家は奈良時代から続く神社。早稲田大中退後、故郷の福岡県に戻り、炭鉱労働を経て、北九州市教育委員会の社会教育主事に。30代で退職後、フリーの記録作家となり、歴史に翻弄(ほんろう)された人たちへの取材、執筆を続ける。その功績から平和・協同ジャーナリスト基金賞(2007年)などの賞を受けた。林さんの日常生活を追ったドキュメンタリー映画「抗い 記録作家 林えいだい」が2月から順次全国で公開される。気管支リンパ節にがんが見つかり、胃などに転移。抗がん剤を使いながら昨年秋に出版した「実録証言 大刀洗さくら弾機事件」(新評論)は「ほとんど病院のベッドで書いた」(林さん)という。

◆インタビューを終えて

 林さんは、テーマを決めると十年単位で取りかかる。文献に頼らず、関係者の証言を徹底的に集めて、淡々と事実に迫っていく。自ら「記録作家」と名乗っている理由だ。一度、直接会ってみたいと思っていた。

 向かい合うと、穏やかで謙虚な人だった。

 「私は運がよかった。いろいろな人に助けてもらったから」。取材先の家で朝まで語り合ったり、タマネギやホウレンソウをもらい、それで食いつないだこともあったという。

 「証言を残したい」という気迫に、相手も揺り動かされたのだろう。次回、五十八作目にも期待したい。(五味洋治)

 

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