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社説

復興の光と影を見て イチエフの外で考える

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 福島の浜通り。復興の光と影が交差する。八度目の冬が近づく今もなお、ふるさとへ戻れない人がいる。帰還困難区域の時間は止まったままだった。

 これも、復興のシンボルというのだろうか。

 福島県広野町と楢葉町にまたがるJヴィレッジ。サッカーのナショナルトレーニングセンターとしての営業が、この夏再開された。

 サッカー日本代表の練習拠点は、福島第一原発事故のあと、長らく事故の対策拠点になっていた。

 東京電力が建設、福島県に寄贈し、東電の関連会社が委託を受けて運営する施設である。

 八キロ北に福島第二、さらに十二キロ先には第一原発(イチエフ)。排気筒が霞(かす)んで見える。

 敷地面積は四十九ヘクタール、東京ドーム十個分。天然芝のピッチ八面、人工芝のが二面。原発作業員の仮設住宅は取り除かれて、日本初、世界最大級という、銀色の屋根に覆われた全天候型練習場を新たに整備した。建設費二十二億円のうち、十五億はサッカーくじの収益で、残りは寄付金で賄った。

 百十七室の新宿泊棟もできあがり、アスリートのみならず、復興ツーリズムの一般客なども受け入れる。来年の春には、目の前にJR常磐線の新駅も開設される。

 止まっていた時計が動きだしたかのようにも見えた。

捕らぬたぬきの皮算用

 富岡町から大熊町へ。国道6号を北上するにつれ、時間の刻みが少しずつ、緩やかになっていく。かつての美田は畦畔(けいはん)も区別なく、セイタカアワダチソウやススキの群れに塗りつぶされて、生活のにおいがすっかり消えた家や店舗は、原発事故の爪痕を今も残したままになる。

 帰還困難区域は金属の柵に閉ざされて、進入が厳しく制限されていた。

 側道への入り口で警備員の厳しいチェックを受けて、凍り付いたままの時間の中を除染廃棄物の中間貯蔵施設=写真=へ向かう。

 今年三月、放射線の面的な除染作業が終わり、削り取られた表土や農地の草など、福島県内だけで約千六百万立方メートルの“ごみ”が出た。

 道路沿いに山積みにされたままでは復興の妨げになるとして、とりあえず一カ所に集めるために、第一原発が立地する双葉、大熊両町が“苦渋の決断”で受け入れることにした国の施設である。

 計画面積は、千六百ヘクタール。小さな自治体がすっぽり入る巨大な穴ぼこも、結局は長期の仮置き場。二〇四五年三月までには、掘り返してよそへ移す約束だ。

 「このままの状態で最終処分地を探すのは、到底無理」と、所管する環境省も認めている。

 そこで減容、かさを減らすための技術開発を同時に進めているところという。

 放射線量の低いものを加工して、公共事業の基盤材などに活用し、まず半減。残った土の粒子をより分けて、放射線濃度の低い部分をさらに活用。最後に残った濃度の高い“ごみ”を焼却することで、95%以上は、かさを減らせるという皮算用。そうなれば、三ヘクタールの最終処分用地を見つければいいと、環境省は考える。

 しかし、そんなにうまくいくものか。

 「大熊町の町長とよく言い合ったものだった。中間貯蔵を受け入れたら、われわれ、殺されるかもしれないと−」

 双葉町の伊沢史朗町長は、繰り返し真顔で語る。

 「私たちの判断が正しいか、間違っていたのか、今現在もわからない。評価は何十年後かに決まるだろう」とも。

 恐らくそれまで、町長たちの心が休まることはない。

 いかに帰還が困難とはいえ、「先祖の墓所をごみ捨て場にはできない」と、色をなす地権者に、環境省の用地担当職員の心は揺れた。現場は苦悩に満ちている。

空ろの中に潜むもの

 「(津波対策には)関心を持たなかった」とうそぶく、東電の元トップ。事故を起こした原発建屋の中で「工場萌(も)え」を覚えてしまう東電広報担当者…。

 そのような皆さんは、ここへ来て、中間貯蔵施設の巨大な“空(うつ)ろ”をのぞいてみるといい。

 原発事故の闇の深さに、きっとおののくだろうから。

 

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