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東栄町のGHQ配給所看板、浜松の男性が証言 「缶詰の味、忘れられない」

GHQが掲げたといわれる配給所の英文看板=東栄町御園で

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 終戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)が掲げたとされ、今も東栄町御園の旧JA愛知東御園支所に保存されている「主食配給所」の英文看板(八月十五日付本紙東三河版で報道)について、浜松市中区高丘東町、柿田三和夫さん(88)が、「確かにあそこで配給を受けた」と証言を寄せた。謎に包まれた配給所の実態が、わずかながら浮かび上がってきた。

 柿田さんは旧園村の尾々(おお)集落(現東栄町下田尾々)に生まれ、一九五二(昭和二十七)年、二十三歳で浜松市に移住。三方原台地の開拓に取り組んだ。

 「足込(あしこめ)国民学校高等科を卒業してしばらくは、家で農業をしていたんです。御園にあった園村役場から『配給があるで取りに来い』と連絡がありましてね。近所の大人五、六人と荷車を引いて出かけました」。戦後間もない四六年か四七年のことだったという。

 険しい山道を約一時間。生産実行組合の事務所(後のJA愛知東御園支所)にたどり着き、尾々集落十三戸分の食糧を渡された。「缶詰や砂糖など。すべて米軍の放出品でした」。尾々に帰り、各戸に配分した。「缶詰なんて、生まれて初めて食べた。あのおいしさは忘れられません」

 配給は何回あったのか。いつまで続いたのか−。柿田さんの記憶は定かではないが、「体験者が現れたのは初めて。貴重な証言です」と、配給所について調べている御園の尾林克時さん(68)は話す。

 奥三河の山里に残る英文の看板。終戦から七十三年たち、記憶の風化が急速に進む。尾林さんは「配給所についてご存じの方は、情報をお寄せください」と呼び掛けている。

 (鈴木泰彦)

 

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